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執筆者の写真Yumi Noguchi

建築家 坂倉準三と高島屋の戦後復興

更新日:5月11日



LA VILLE RADIEUSE  輝く都市をめざして

By Junzo Sakakura, Architect


戦後間もない高島屋和歌山支店は、木造のサヴォワ邸?


物質不足で木造にせざるを得なかったのが、素晴らしい工夫で、

丸柱は3寸(9センチ)角の檜材を十字に5本束ねて化粧檜材で包んだもの、梁も合わせ梁


外壁白モルタル、各所の金属部分をカラフルに

壁は一切設けない




4つのスキップフロアをスロープで結び、お客様は高低差による景色の変化と壁のない

開放感を楽しみながらお買い物


パリ万博日本館へ出展していた高島屋はコルビジェ事務所で修行していた坂倉(敬称略)

と出会い

和歌山に続き高島屋難波新館増築改築を依頼


難波コンコースと百貨店の人の流れを、本人曰く「谷川の水のよう」に処理

結果高島屋に画期的な売り上げをもたらした。


それが東急五島氏の目に留まり、坂倉は渋谷駅の一連の東急ビル設計と、山手線・新玉線

銀座千疋屋(地下鉄を3階レベルに)・井の頭線・東横線という5つの鉄道駅の人の動線を

見事にまとめあげた。


その成功が、新宿駅西口広場につながる。

地下の嫌いな坂倉は、結局天井に大きな穴をあけ、それまでの地下広場の常識を覆す。

(消防には大歓迎されたらしい。排ガス換気面でも)


繊細にして大胆な坂倉先生のお仕事に感銘を受けつつ高島屋とのご縁に驚いた今回の展示


個人的にとても好きな建築家の阿部勤先生や、室伏次郎先生が若き頃に坂倉事務所の所員

だったのも、深くうなずけるのでした。

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